〜ことたま日記〜

ことたま日記は、不定期に更新されます。毎回皆さんに必要な時に必要なだけの大切なメッセージをことたま(言霊)に乗せてお送りしています。時には厳しく斬り込み、時には温かく心寄り添い。全ては愛をもって『この世の光と闇』を正しくお伝えします。

そして、最近の時事ニュースなどから『麻啓緊急メッセージ』として大事なメッセージを皆さまにお届けすることもございます。

この『ことたま日記』は藤本麻啓の語らいの場、そして大霊、守護霊達の語らいの場とも言えるでしょう。お見逃しなく。

*ことたま日記は、月毎にバックナンバーは順次消去されていきます。

2019年7月20日 真の覚悟

まずは腹をくくりなされ。『真の覚悟』あらばそなたの想い全て通ずる。 《霊言ガイドスピリット》

私のこのスピリチュアリストとして活動すること、発することが全て『罪』だと言うのならば、私は喜んで罪人になりましょう。私の罪でその人が『自分の神我に気付く』人がいるのなら、私は人に裁かれる覚悟があります。
『天はみてござる』
私は、人からの裁きなど怖いとも裁きとも思っていません。
『批判』、喜んで受け容れましょう。
『自ら罪をかぶってくれてありがとう』に尽きます。

なぜなら、
裁くのは神でしかできません。

『己の行いは天のみぞ知る』なのです。
他人が測る余地などありません。

世俗的な人はよく
『善良な人』『罪な人』と言いますが、
なにをもっての善良なのか、罪人なのか
言えますか?
私にはまったく意味が分かりません。

犯罪を犯す人も、何かを守るためだったとしたら?もしかしたら誰かの為に罪を犯してしまった人なのかもしれない。

犯罪を決して肯定しているわけではありません。
『罪を憎んで人を憎まず』です。

今現在の犯罪は、ほとんどか自分勝手な犯行で、それに当てはまることは、ほぼない犯罪ばかりですが。。。。。
それはそれで、ちゃんと罪の裁きという罰は受け容れるべきです。
自分の足下をちゃんと見るのです。
そして、大事なのは周りの人も『理性』で受け容れるべき。


死後の世界で全てが明確に分かるようになっているのですから、人にどう言われようと、やるべき事をやるだけです。


私には、太陽のように常に存在するスピリット達がいます。
もし仮に、私が曇ってしまって太陽が見えなくなむっても、太陽は無くならずその太陽はその雲の上にずっと在り続けます。
しかし、今後、曇ることは決してないでしょう。なぜなら私は霊的真理(スピリチュアリズム)を学び活かす生き方をしているからです。

だから、私はその存在を知った時に怖いものが無くなりました。自分でも驚くスピードで霊的真理(スピリチュアリズム)を吸収していくことを実感しています。
まるで今までがカラッカラに乾いたスポンジだったと思い知らされるように。
だからといって、私の世界がこの世の全て完ではありません。

私は私の経験したことしか伝えていません。

ですので、いつも言っています、
『この世は、全てが責任主体』なのだと。


受け入れるか、受け入れないかは
あなたが決めることです。

私のいうところの
『マニュアル症候群』になってしまってはいけません。

ほんと皆さん、『取説(トリセツ)』が大好きなんですねぇ(笑)

これがなければ歩めない、
それはイコール、生きれないになるんです。

講座やカウンセリングでも何度も何度も言っています。
『考えないことは、生きることを放棄したに等しい』と。


スピリチュアリズムの素晴らしいところは、
何事も『分析』ができるようになることです。

だから、『悩み』がなくなるのです。

理性的に分析ができるから、『覚悟』がもてるんじゃないでしょうか?


2019年7月15日  あなたはどっち??

目の前の現実から『素直に』学べますか?

霊的に成長する人と、なかなか成長できない人との違いって何でしょうか?

それは、自分の目の前にある『現実』から、
どれだけ学べるかなのです。

なかなか成長できない人は、
自分に都合の悪い現実が目の前にあると、
他人や環境のせいにして、
自分自身をかえりみません。

成長できる人というのは、
目の前にある『現実』を
自分自身の未熟さが、
まるで鏡のように映し出しなのだと受け止めて、
みずからを改めることにより、
その『現実』をよりよいものに変えていきます。

あなたは、成長できない人、成長できる人、どちらでしょう?


2019年7月10日 『学』を持ちましょう

巷でよく耳にしたり、目にしたりする言葉
『1週間で○○が叶う』
『3ヶ月で痩せる方法』
『1分間○○○』
『数ヶ月で○○万稼げます』

これらは全て
『たましいの視点』ではなく
『物質的視点』から見た
『物質主義的価値観』です。

『成果主義』とも言います。
人間はそう簡単に、ちゃちゃっとやればパッと変わるような。電子レンジではないんです。

しかし、そんな思想が当たり前のように浸透しているがために、
皆さんの思考も、インスタントに物事を捉えるようになっています。

なので、『想像力の欠如』『思考能力の欠如』という低下が非常に目立ちます。

何事も『自分の力を使って分析し思考する』というのができないのです。

だから、すぐに誰かや何かに『頼る』
『頼ればいいや』になっています。

ちょっとのことでも、『これってどういう意味ですか?』『答え教えてください!』『端的に教えてください!』
とスピリチュアル カウンセリングでも質問されます。

なぜそうなるのか?それは、
これまでのあなたの生き方が
『成果主義』であり
『インスタント思考』で
『マニュアル依存』であるからがためです。


この世には
森羅万象どの世界にも『法則』に基づいて
私達は生をなしています。

『本当の幸せ』を掴んでください。
本当の幸せとは、『たましいの視点を持って生きる』こと、
それができるのは『霊的真理』でしかありません。
この真理は不変です。

この世にある世界中の宗教や思想哲学にもできないことです。


2019年7月7日 孤高と課せられた預言

この世は未完成、完全体ではない。

だからあなたも完璧ではないから生まれてきたのです。

未完成な世であるから、毎日が『学び』なのです。

なぜこの世に完璧な人がいないのか?


それは、この未完成の世に『完璧な人は必要ない』からです。


『完璧だと生まれてくる必要などありません。』


本当に、日々の生活の中でたくさんの人と接しているたびに深く学ばせてもらっているのが
『孤高は大切だ』ということ。

『私は、たいした人間ではない』という足枷を担っていると自覚をしていて、だからこそ『世の為、人の為に』沢山の良いこと、今の『私の身の丈に合った』範囲でお役に立てるように日々精一杯生きています。

ですが、人々と接する度に、本当に『コミュニケーション不全』で『話す』ということはできても『会話』ということの本当の意味が分からないのか、
そのために『傲慢という影』に全く気付いていないのです。

それを感じるのが、30代から下の世代の『若者』と呼ばれる年齢の方々。
私も30代の世代にあたりますが、
スピリチュアリズムを学んでいると、何事も理性的に物事を見ることができるので、
20代の人たちや同じ世代、近い世代の人と接するたびに
『あぁ、、その傲慢さが自分の波長を下げていることに〈気付いていない〉、同じ世代として恥ずかしい』と

いわば、『知ったような口をきく』『上から目線』なのです。

そのわりには、自己否定に弱く、間違いだと指摘されると『気が弱く自信がなく後ろ向き』な感情に振り回される。
さっきまでの『上から目線はどこにいったんだ?』となります。

どれだけ、肉の年齢が高い人でも、霊性の低い人、つまり『人格の低い人』はいくらでもいます。
それが『この世』なんです。
『この世は、小我な世』なのだから、霊性の高い人と低い人が混在していなきゃおかしいのです。

しかし、それが理不尽だと感じ、霊性の低い人だと勝手に『妄想』して『自分の方が上だ』と傲慢になり『知ったような口を利く』のです。
その様子を見ていて、自分はどれだけの人間なのよ、と思います。


皆さん、自分の足枷が見えていない。
それもそうです、自分のことを普段から『内観』、分析をしていないのですから、自分が見えなくて当然です。

このストレスフルの社会に生きているのですから、今こそ『自律=孤高』を目指し、孤高は大切だとしっかり自覚すべきです。

このストレスフルでコミュニケーション不全の社会に生きていて、戦々恐々と生きなきゃいけなくなった、だから知らず知らずのうちに『強気のバリア』というものを張らなければ生き抜けなくなってしまったのも事実。
だから、傲慢という殻を被るのも理解できます。
いじめや、SNSの中では当たり前のようにリンチが繰り返され、人間不信の波に飲み込まれ、その中で生きるためには常に戦闘モードになってもおかしくないのです。
だから揃って『自己否定に弱い』
だから、みんな揃って『自殺思考』に向かってしまう。


自身の『未熟』さに『謙虚』に向き合っていたのならば、このストレスフル社会では負けてしまうんじゃないかとの『恐れ』があったのでしょう。

私も、その戦々恐々の世の中で育った人間なので気持ちは分かります。

だからといって、それは傲慢で間違いなのだと気付く『想像力』を持たなければいけません。

ある意味『気の毒』です。

物質的価値観のみにどっぷりと浸かってしまった親世代に育てられ、何事も競争させられ、学校に行けない子はダメな子や、お勉強ができる子は良い子とか、仕事は生きるためには必要なことですが、その仕事も大きな会社に入れた子供は良い子とか、それらが叶わなかった子供は『ダメな子』といったそんな価値観の中で育てられているのです。

例えば、親はスポーツ万能なのだから、そのDNAを受け継いだ子供もできて当然だ。と家族から日々言われ、そのプレッシャーに心を病むという子供も後を絶ちません。



いつまでその物質的価値観をつらぬくのでしょうか?


お悩みのカウンセリングでも、そのような内容ばかりです。
やはり傲慢ですから、『自分はそんなつもりはない』という現実逃避があるのでしょう。

霊性を高める方法は、1つしかありません。
『経験と感動を積むこと』です。

しかし、便利な時代になってしまったがために、人の思考もインスタントで、何事もチャチャチャと済ませれてパッと変わると刷り込まれています。

どんな時でも、常に情報が結果として手に入る世の中なので、自分は常に学んでいる、知識があると背伸びしているようです。
『厚顔無恥』という言葉がありますが、
その言葉がぴったりな生き方になってしまっている私達に、
そんなところも年上の人からすると『可愛い』ところなのだと思ってくださるのかもしれませんが、
そこから内観し謙虚に受け止めれるというふうに変化できる人が少なく、
ですから、それができれば『本物』なのだと思います。

『人の心荒むこと、麻の如し』
『幸せな人はいじわるしない』というところで
今現代人に当てはめて分析をしても

やはり、みんな『幸せじゃないんだなぁ』と強く感じます。
それが、社会問題になっているYouTubeのような動画に如実に顕れています。

『幸せ』という言葉がどこか、綺麗事ように捉えられているのではないかと思います。

『本当の幸せ』を求めなくなってしまって
『物質的な幸せ』(人に恵まれるや、物やお金を得る)だけで満足してしまっているのは

霊的視点から見れば、あまりにも不幸に映ります。

『世の為!人の為!』と
意気込む人が
もぉいなくなってしまったように思います。




向上欲から理性的に分析することを、
これからの時代は求められるでしょう。


『内観』一つすらもできない人たちに『分析』をする視点を持つことは、『これは相当難しいぞ』思います。
なぜなら、色々な多方面での言葉を投げかけてみても、みんな『????????』という感じになってしまって理解をしていませんしね。

『言葉』を知らない人も沢山目立ちます。。。
中には、昔からの日本語であるのに『専門用語ですか?』という無知さ。これが『どういう意味なの?』と質問するなら分かります。しかし、私ごときの人間でも知って学んでいるのに。それでも傲慢に生きるのを選ぶのかと呆れてしまいます。

ですが、これからはこれらのことが求められる時代になるでしょう。


『孤高は自分を輝かせるのです。』



2019年7月4日 回心すること

『反省』と『悩む』は全く違うもの。
ほとんどの人が『反省しなきゃ』と言いながらもずっとそこで『悩んで』います。
【反省】は、その問題(現実)に対して改善をしようとする、解決のための前向きな思考のこと。
【悩む】は、その問題に対して実は反抗しており、自分のおかれている『現実』から逃れたいとする、『もがき苦しみ』ことです。

簡単に言うと、
反省は、『ポジティブシンキング』
悩むは、『ネガティヴシンキング』
ということ。


こう、分析をすれば
悩むなど時間の無駄なこと、そして、全ての問題など小さきものだと気がつくはず。

そうして、『反省を繰り返して』
あなたの心の小我を少しずつ取り除くと、
自分の目の前の出来事が変化をしていく。

それはあなたの心の変化によって、
周りも回りに回っていくからです、

このことを『回心する』というのです。


2019年7月2日 真の供養

全ての亡くなっていった人が心から喜ぶこと、それは私達が『本当の幸せに気付き生き抜いている姿を見せること』です。先にいった人たちに心配させない生き方、それが『真の供養』です。
高いお金を払って、供養をしてもらうとか、
そんな物質的なことで、霊界の人たちは喜びません。
自分達が故人を思い出すには、いい方法なのかもしれませんが、それは相手のためではなく、自分達の為です。

故人の好きだったものを、沢山お供えするというのも『供養』とは言えません。
亡くなって間もない人ならば、お供えしてもらって自分の事を覚えてくれていたんだと喜ぶかもしれませんが、
亡くなって何年も経てば、物質界であるこの世から離れて何年も経っている為、自分の好きだったものなど、もぉ忘れています。

そんな事よりも、『地に足つけて幸せに生きなさいよ』と思うでしょう。
お供えは、『氣を吸う』と言います。
お供えする人の『想い』を故人はいただくのです。

ですから、
『幸せになれるように見守っててね』とか
『出会いや、お金が欲しい』などの、
ご利益的な想いでお供えすると、
『話にならない』『呆れかえる』と
よく霊視でもそう言ってくる霊体もいます。


亡くなった人が本当に喜ぶこと、
それは、
『亡くなった人に、心配をさせない生き方をすること』です。


私は、よく私の家族の仏壇の前で話しかける時は、『今のこの世は、こんな季節で、こんな花も咲き始めました。覚えてますか?』と頭の中に季節の花や景色を思い浮かべます。
すると、あの世がその花や景色でいっぱいになるのです。
そして、こう続けます。
『私もこの世で頑張ります。なのでそちらもそちらで頑張ってください。私も、そちらに帰った時にあなた達に恥じないように魂に磨き上げます。』と。

すると、滅多にないですが、たまに反応がある時もあります。


霊界では霊界での生活がありますから、暇ではないんですよ。ですので、『いちいち心配かけさせるな』が故人達の本音です。

残された家族が自律をしている姿を見ることが、何よりも嬉しいことなのです。


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