〜ことたま日記〜

ことたま日記は、不定期に更新されます。毎回皆さんに必要な時に必要なだけの大切なメッセージをことたま(言霊)に乗せてお送りしています。時には厳しく斬り込み、時には温かく心寄り添い。全ては愛をもって『この世の光と闇』を正しくお伝えします。

そして、最近の時事ニュースなどから『麻啓緊急メッセージ』として大事なメッセージを皆さまにお届けすることもございます。

この『ことたま日記』は藤本麻啓の語らいの場、そして大霊、守護霊達の語らいの場とも言えるでしょう。お見逃しなく。

*ことたま日記は、月毎にバックナンバーは順次消去されていきます。

2019年9月14日 ローマ法王

11月にローマ法王が来日することとなりました。

袴田事件の袴田さんとの面会も調節しているなどとのニュースもありましたが、

そもそも、なぜローマ法王が今来日するのか?

何となくそろそろ行こうかな?
とか
ローマ法王が興味を持って来たというわけじゃないんですよね。


なぜなのか?



それは、『ファティマの予言』があるからですよ。


聖母マリアの予言でも有名です。

その予言、、
また『スピリチュアリズム講座』でお話しができればとも思います。


次回21日の講座で少しお話ししましょう。
お時間の関係上、話せないかもしれませんが、


今の日本は、そして世界は、
その予言に急速に自分達の足で進んで行っています。

だから、ローマ法王は予言に従い動いているのです。


ほんと、今の韓国や香港にも行かないのでしょうか。。。

前のヨハネ パウロ2世は
それの為に世界を回っていましたよね。

この来日をきっかけに、

日本人も霊的真理という大きなプレゼントにやっと気付き、それぞれの霊性向上に向かってくれますように。


本当に、皆さん『お花畑』だから足元やっぱりすくわれていますよね。。。。


そのすくわれているのにも皆さん気付いていない、
ある意味『幸せ』なのでしょうけれど、その幸せは偽りの物質的価値観からの妄想です。

本当に嘆かわしいと思ってなりません。




2019年9月10日 摩擦

あなたと他者との関係の摩擦のほとんどは、

ほんの少しの『表現』なんだと、軽く考えているようですが、それこそにあなたの本性、『本質』が顕れるものです。

自分なりの言葉遣いや、ちょっとした行動も、あなたの『霊性』が顕したもの。
『霊性』とは『たましいのレベル』です。

そう思うと恐ろしいことですね。


しかし、これを逆で考えるのです。


それを、他人から学ぶんです。
他人でと考えると恐れは無くなるはずです。

今日、職場や家族でそんなちょっとしたところから、
相手の本質が見えた、
それを目の当たりにしたあなたは、

これがすぐに実践しできるはずなんです。



『人のふり見て、我がふり直せ』


簡単です。


それが、この日記を読んだ後からのあなたの前向きで明るく生きれる道です。


2019年9月9日 地に足つけること

幸せになることはとても大切なことです。

世の中には自分を不幸だと思って生きている人は沢山いますが、不幸になりたいと願う人なんて誰もいません。

幸せになりたいと神社やパワースポットに行くと願っているはずです。しかし、、、

幸せになりたいと願う気持ちばかりが先立って、周りの人たちへの思いやりの心や感謝の心、他者への愛を忘れてはいませんか?

殆どの人が、他者への配慮をせずに、自分自身の未来に都合の良いことばかりを望みがちです。

それでは幸せなどくるはずがありません。

いつも、私の講座を受講される生徒さん達や、この日記でもずっとずっと口を酸っぱくして言っておりますが、

スピリチュアルは魔法ではないということ。

殆どの人や、この色庵のサイトを見に来られる方は、魔法を望むんです。

『どうしたらいいですか?』
『何か方法はないのですか?』
『やりたいことが見つからない、どうしたら見つかりますか?』
『結婚相手は見つかりますか?』
『今の相手で間違っていませんか?』
『どうしたら友達と上手く付き合えますか?』
『夫(妻)とは、どう関係を修復すればいいですか?』
『お金はどうしたら貯められますか?』
『将来楽して暮らすにはどうすればいいですか?』
『今の仕事は私に本当に合っていますか?』
『仕事を辞めたいんですが、辞めてもいいですか?』
『子供が何を考えてるか分かりません。』
『子供が反発して困っています。』


『何か目に見えての成果』ばかりを求めているんです。

殆どの巷のスピリチュアリストや占い師は
端的にその答えを示すことが『愛』だと、『間違った方法』で一般の方々に示しています。

だが、それで心の重荷が解消されることもある。
しかし、それは妄想に過ぎないのです。

心の重荷が解消されたかのように錯覚を起こすのです。

『あ、あの人の言った通りにしたら、もぉ大丈夫かも』って。

それは、解消でもなんでもなく、
『問題』の根本的な原因はそのままなんです。だから『原因を借金』をしてしまったことになる、
そして、また期間を置いて別の形で大きな問題となりあなたに降り注ぐようになるのです。
このような方々がいらっしゃるから、
スピリチュアルが神聖なものではなくなり、ただのオカルトと思われてしまい語弊が沢山生まれてしまうのです。
ここ最近、心からこう思います。
『本当にいい加減にして、人を惑わすんじゃない!』と。


『スピリチュアル』とは『スピリチュアリズム』を活かしてこそ『スピリチュアル』となるのです。

『こんな場合は、こうしなさい。』という下世話なレベルの低いことを示していません。



『スピリチュアリズム』というのは、
『生き方の視点』を明白に回答しているものです。

無償の愛の視点の持ち方を教えています。
思考の持ち方、幸せな方向に向くための考え方、私たちが自分を死ぬまで磨くためには『学』がいります。

その『学』がスピリチュアリズムであるということです。

その学に気付き、生きる奉仕に目覚めた時こそ、あなたの祈りは大霊(神)達に届き、あなたの祈りの思いが『叶う奇跡』が起こるのです。


2019年8月27日 時は金なり

この世で生きていくためには経済活動は必須です。

しかし、このお金を稼ぐことの考え方の順序を間違えている人が多いのです。

お金とは、
お金を先に考えるものではありません。
『この仕事は嫌いだけど、給料がいいし、、、』
『将来の経済面を考えると、ここなら安定するし、、、』

お金は『経験と感動を人に積ませるため』の、神界が作った方便です。

お給料がいいからなど、
『物質的価値』からきた理由で仕事を選べば、
毎日の生き方から飽き飽きしてきて、
心に余裕を無くしイライラしたりと、
精神が不安定になります。

そうすると
だんだんと『チャレンジ精神』というものが養えなくなります。
お金という『物質』にがんじがらめになるからチャレンジ精神を失うのです。


自分のしたい事が分からない。
自分は何ができるのか。

という悩みをもつ人が沢山います。

現にそれが原因で大人に鬱病が多いのは、
そんな考えからが多いようにも思えます。

お金のために仕事をするのではなく、
『経験を積むため』にお金があり、
そのお金を稼ぐために『仕事』があるのです。
もし、お金のいらない世の中でお金がなくても生きていける世の中ならば、誰も働かなくてなってしまいます。

全ては経験と感動を積ませるために、
この『物質界』はあるのです。


『時は金なり』

という言葉があるように、

経験と感動を積む努力をしていれば、お金は自然についてくるものです。

経済活動を『お金』をメインに考えるから、
お金はやらしいものだという考えになるのです。
やらしいものにしているのは『あなた自身』なのだと気付くべきです。

お金は扱う人で『良きモノ』にもなるし『悪しきモノ』になるのです。


2019年8月24日 アッシジから世界への平和へ、真の幸せへ

皆が、世界が平和への祈りを

本日は24時間テレビですね。

『愛は地球を救う』という言葉がありますが、
私はあえてこう言い換えます。
『愛で地球を救う』のですと。


皆の愛念で平和へと導き、愛で幸せな人生へと導かれるのです。

それは、一人一人が必ず持っている『神我』があるから、その神我への目覚めが起きたとき平和な楽園へとこの現世はなるのです。

中には24時間テレビは、ヤラセだとか、感動ポルノだとか、批判的な方も多く、私もそのように言う人を知っています。

実際に、
そのせいで嫌な思いをした人もいるかもしれません。
確かに、演出は感動ポルノと言われればそうかもしれませんが、

そう言う批判をする人は、今の日本の現状を知らな過ぎる、無関心過ぎると言わざる終えません。

『批判は無智』からくるものだからです。

この日本は、世界から見ても奉仕ボランティア精神の大変低い国です。
世界ランキングからみても100位以下をずっとさまよい、年々ランクを下げる一方なのです。
『おもてなし』を美徳とかがげるのは、
表面上だけだという事実があります。


海外では、企業や一般家庭まで、ボランティアは当たり前のこと。
お金を稼げば、何パーセントかは寄付に回すというのが普通に行われます。

しかし、この日本は違う。

企業では取り組んでいるところもありますが、取り組んでいないところもある。

一般家庭においても、仕事で稼いだお金に少し余裕があれば、自分の悦楽に使う人が多いのです。

もちろん自分の生活レベルの身の丈は人それぞれありますが、毎日10円でも募金箱に入れるとかすらの心構えもない人がほとんどなのです。

コンビニやスーパーでも募金箱の中を見ても分かるように、
日本人は奉仕の心、その精神性の低い人種であるのです。


そこでの24時間テレビへの批判。

なぜ、感動ポルノのように感動を誘うような演出が、わざわざなされなければならないのか?

そうしないと、寄付が集まらないからですよ。

24時間テレビはテレビの特色を活かし活用しているまでのこと、

本来の目的は『真副控(しんそえひかえ)』からすると
その主軸である『真』は『お金を集めること』です。

そのお金で、地球環境保護支援や、福祉(ドクターカーなどの寄付)や災害義援金に当てて役立てる為です。

批判的で、『障害者をあんな見世物みたいにして』という気持ちも分からなくはないですが、
そうしないと日本人の心は動かされない人が多いということなんですよ。
そして、そのテレビに出ている障害を持つ方々も、そんな現実を目の当たりにし心動かされたから、何かの役に立てるのならば、この身削りますという覚悟で出演されるのです。

そこまでの想像力を働かさないと、
障害者の方々をその言葉で余計に傷付けることになります。


私の周りにも障害を持つ方はたくさんいらっしゃいます。
子供の頃から、関わりはずっとあり、その中で感じるのが、
私達健常者の心にずっと呼びかけていること、『障害とは肉体がただ不便というだけであって、心までも障害は負わない、なぜなら私達は全てたましいの存在なのだから』


やはり、普段から目に見えることだけで判断している人は、奥深く物事を捉える力がないがために、そこだけで判断をしようとこころみます。

ですので、その人のたましいと語り合うことはできないのです。

今のこの日本は危機に瀕しています。
この日本がということは、世界はすでに悲鳴をあげています。
周りを見渡せば、歩いている人みんな憑依者。ついついため息をこぼしてしまいそうになるくらい、酷い状況です。


何度も言っておりますが、今年最初の予言覚えていますか?
『平安に足すくわれる』

私のスピリチュアリズム研究での『たましいの救済』も急がれます。
毎日私は、自分の道仁やスピリット達にこう祈ります、『私を霊界の道具とし、お使いください』と。

まだ経験と感動が浅ければ、この言葉を聞くと「え?」となる人も多いのでは。
霊界の道具になるとは、良き霊言を伝えれること。大我への道なのです。
皆さんが霊的真理に沿って生きれるためには、道具が必要、道具とは肉体、この物質的なことで、この現世では使わなければ、伝えることができないのです。


ただ、早くに霊的真理に目覚めて欲しいと願うのは『成果主義』。

私はただただ、皆さんが平和への道を選び、本当の幸せに気付いてくれる日をたましいから祈り続けるのみです。


いつも、聖フランチェスコの祈りを捧げています。
今日はこの祈りを皆様にも祈っていただけたらと思います。
ただし、覚えておかなければいけないのは、『祈り』とは『想う』ということとは全く違うということ。
『祈り』とは『実践』があるところに願いが神に聞き届けられるのです。

実践なき祈りのところに『力』は宿らない。

これを言い換えれば
『怠惰な土地に花は咲きません』と言います。

この現世では、みな自分の人生を耕し生きています。
それも今の現代人は、耕すことも怠り、いただくことばかりが良しとされている。

そんなところに幸せの花など咲くはずがありません。


ちゃんと『地に足をつける努力』をし『祈る』のです。

それが平和への、、真の幸せへの道です。
さすれば、この地球は『楽園』となることでしょう。



【聖フランチェスコの祈り】

わたしを、あなたの平和への道具としてお使いください。
憎しみのあるところに、愛を
争いのあるところに、ゆるしを
分裂のあるところに、一致を
疑いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
闇に、光を
悲しみのあるところに、喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは、慰めることを
理解されるよりは、理解することを
愛されるよりは、愛することを
わたしが求めますように
わたしたちは与えられるから、受け
ゆるすから、ゆるされ
自分を捨てて、死に
永遠の生命をいただくのですから。

2019年8月19日  真理の道

『自分の為だけ』に生きている人は
『心が弱く』、
さらに死を美化し、
すぐ死にたくなる、
が浄化できず死ぬことができない。


誰かの為に
誰かへの『愛を守る』為に生きる人は、
自分の命を全うするまで身を削り


生き抜きます。


利己主義は
流血と悲惨と慟哭を
もたらす戦争を作り出すのみならず、

世界の無秩序、混乱、災害、破滅をも
生み出す。

だから私たちは、

利己主義ではなく

『霊的真理』に生きなければ、




世界の平和は訪れない。

2019年8月16日 実践の時代

人霊として在る、私たち人間は『経験』が一番の『学び』で、経験以外の学びは無い。

学びとは、知識や知恵のことではない。

私が日々の講座やカウンセリングで、『自分の目の前で起こっている出来事は全て、自分自身の中の小我(未熟さ)の映し出しであり、それがあなたの生きるテーマ(課題)であるのです』と『それを実践し生きることが使命である』と何度も何度も口を酸っぱくして言っています。

ほとんどの方々は頭の上に『?はてなマーク』が飛んでいらっしゃいますが、、、(笑)それでも口うるさく言うのは何故なのかお分りでしょうか?

今の日本はメディアも発達し、情報の種類も豊富でそこから得る『間接的な経験』から学ぶ機会が多いのです。

そんな時代である意味というのを分析すると、
それは、『学ぶ必要性の高い時代』であり、『霊的真理(スピリチュアリズム)の実践の時代』にもうとっくの前に突入しているからなのです。

それ以前はどんな時代であったのか?

その前は、『ハリーエドワーズ』や『アリゴー』など、『デモンストレーションの時代』でありました。
それは、この今の『実践の時代』に繋げるためであります。
霊的真理を正しく伝え広める為にはまず、霊的世界を人々に多く知らせ『存在』を認めさせる『実証』が必要だったからです。

世界各地で心霊研究がなされ、この日本でも心霊ブームがあり数多くの霊能者達がメディアに出てきたのもこの『デモンストレーション』をする必要性があったが為であります。

これも、神のシナリオのうちの一つであるのです。

しかし、
今は『学び実践する時代』にも関わらず、

霊的真理を何か学校の授業で学ぶ教科のように思っているのか…
お習い事だと勘違いをされているのか…

「それは今の私には必要な教科ではないとか」、
「この話は聞きたいけど、この話はいいや」
のように、
いつも皆さんはお客様根性で、
霊的真理は生き方の視点であるにも関わらず、
自分の未熟さを受け入れる視点を持たず
『学ぶ姿勢が無く』
どんどんと『実践から遠のき』、
『たましいの幼稚化』が非常に目立ちます。

更にそれは無機質化しており、
これといって霊的真理の実践の義務も果たしていないのに、パワースポットや神社などのスピリチュアルスポットには積極的に出かけ、
『いただくこと』ばかり考えているがために

『たましいの自然霊化』が加速していっています。

そうなると人はどうなるのか?

まずは人の心の『差別』です。
ここのところどんどんそれが酷くなってきています。そもそも『霊が怖い』というのも『偏見差別からです』。

そして、『両成敗』『勧善懲悪』という、
善と悪を白黒つけたがるようになり、
他人の奥底の心(闇、苦しみ)に目を向けてやることができなるなる。

悪口を言うや嘘を付くや少しでも悪を犯した人がいると分かれば
『たましいまでも悪』に仕立てて、
これが自分でなくて良かった、
自分の家族でなくて良かったなどと、
自分は善だと仕立てることにより、
そこに『安心』を求めるようになります。


そして、普段は周りから善人と言われているような人でも、ポロっとこぼす言葉に『一人で死ねばいいのに』発言を思わずしてしまう。しかしそれは、どんな言い逃れや言い訳をしようとも、それがその人の生きる姿勢であることには変わりないのです。そんな人は、気の毒なことに、他人の命、自分の命の重みを感じることができないのです。そして、カルマの法則により、命の重みを感じさせられるような出来事が起こるのです。

避雷針を発明したベンジャミン・フランクリンもこのような言葉を残しています。
『足を滑らせてもすぐに回復できるが、口を滑らせた場合は、決して乗り越えることができない』

いくら、普段から美辞麗句をならべようとも、口から出る『言霊』はこうやって自分の内が顕れるものです。
『覆水盆に返らず』とも言いますよね。

ですが、
人の『小我』とは実に『学び多きもの』です。
『学ばない』も『その人の小我ゆえ』です。それが顕著に現れるのです。

もちろん、人はフォアグラではありませんので無理矢理にでも食べる必要は全くありません。

ただし、何か問題が起こり、『悩み苦しみ』に対し文句や愚痴を言える権利はその人にはありません。

ベンジャミン・フランクリンはこうも言っています。『愚者の心は口にある、賢者の口は心にあるのです』と。

そもそも、霊的真理を理解していけば、『問題はある』がその問題に対しての『苦難』は小さくなります。
なぜなら、なぜそうなったのかを『分析』をしようとするから、苦しいという感情に浸る『暇』などないのです。
なので、『苦難の元凶』となる『文句や愚痴』『妬み嫉み』など『無縁』となるのです。

なぜなら、『苦難の全ては自分の小我から生まれるもの』、
霊的真理を理解すればするほど『大我の心』へと変化するもの、

なのでどれだけ理不尽な問題と思えることも『怒り悲しみ憎しみ』など『幼稚』なことと思ってしまい、自分で問題を『喜び』に変える力が付きます。

最後に2つの言葉をお送りしましょう。

♦︎『何であれ怒りから始まったものは、恥にまみれて終わる。』
{ベンジャミン・フランクリン}

♦︎『思考に気をつけなさい、
それはいずれ言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、
それはいずれ行動になるから。
行動に気をつけなさい、
それはいずれ習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、
それはいずれ、性格になるから。
性格に気をつけなさい、
それはいずれ、運命になるから。』
{マザーテレサ}


そろそろ『実践の時代』に追いつきましょう。




2019年8月15日 全てはたましいの救済のためです。

なぜ、この世でスピリチュアリズムを学ばなければいけないのか?

私たちの生き方の『軌道修正』をはかるためとも言えます。
これまでの170年以上からなる、霊界通信では『生きる人に対する、たましいの救済である』と言っています。

そもそもスピリチュアリズムは
私たちの『軸』です。

それに気付き、出会えた人は、

『これまでのたましいの様々な経験が実った結果』出会えたのです。

因果の法則である【因縁果】です。
そこへの『感謝』を持つべきです。

目の前に置いたとしても
気付かず通り過ぎる人だっているのです。


霊的真理とは、
宗教や精神世界とは全く違うものです。

宗教や精神世界は
哲学的に誰かが作り上げた『妄想』の世界であるが、

霊的真理は
これまで171年間休まず行われている霊界通信からの心霊研究での実証実験から現れた、『実証』の元にあるものです。

なので、
霊的真理は、宗教や精神世界の人たちとは違い『物質的価値観』であり『観念的』な考えはありません。

『理性的』な物事の分析があるがために、
視野が広がり、様々な事柄に対しての『視点』という明確な回答を示されています。


2019年8月11日 世界の因果は、あなたの因果となり返ってくるのです。

国や世界そして地球の『カルマ』は、
『みんなで返す』ことになります。

『カルマ』というものは、因果とも言います。
そのカルマは『個人のレベル』だけに働いている法則ではなく、

あなたが属している会社や家庭、あなたが住む地域、そしてあなたの国、あなたが生きている世界、その世界は地球があるから、といった大きなレベルにでもカルマは存在しているのです。


あなたが『関わっていない環境』など無いということ、直接的に関わっていようが、いなかろうが、
そこに属する『たましいの連帯責任』なのです。

ですから、今ある国際問題、政治問題、環境問題、社会問題に『無関心』でいてはいけません。

一人一人が変わることでしか全体が変われないのです。

言葉を言い換えれば、
一人ひとりの『波長』が変われば、
日本が変わり、

世界が変わるのです。


これは広義の視点であるので、
細やかな問題はありますが、
『一人ひとりが無関心だ』というところが
問題なのだと言及しているのです。
ニュースからも我が事と全く捉えず、繋げられないのですから。その『自分の視点の狭さの未熟さ』にもっと『反省』すべきなのではと思います。

全員がもし、問題を問題としっかりと捉え理性で分析ができるようになれば
きっと世界は平和へと導かれるのでしょう。



2019年8月6日 感情は自己表現ではない

『感情を解き放ちなさい』とか
『感情を隠さず、押さえつけてはダメ』とか
感情を表すことを、自己を表す『自己表現』のことだと勘違いしている人が多いのですが。

感情で見つめることは、何も進歩しないことです。
感情で自分自身の未熟さに気付くため、という一時的なことだとすればいいのですが、
感情で自分を見つめようとするのは、現実逃避です。
なぜなら、ついつい自分の都合の良い方に捉えてしまいがちになる。
自分の中にある未熟さにまでは、目が届かなくなりがちになるからです。

大事なのは『理性で自分を見つめること』です。

全ての問題であるその原因は、
あなたの奥底にある『未熟さ』からゆえです。
そこを見つめるには、あなたが感情的では見えることはありません、ちゃんと理性的でなければその奥底の未熟さのところにまで手が届かないのです。

常に感情なのか、理性なのかを日頃から分析することが大事です。

今のこの思いは、感情か?理性か?と問いかけること、それが客観的に自分を見つめるということです。

客観的に見るには、感情的では客観的になれません。


2019年8月4日 家族と自分の生まれた意味

家族は、あなたの生まれてきた意味、課題(カリキュラム)の中の『学び』に大きく関わっています。
家族を見ていると、家族の問題点などから、自分が、前世(過去世)でどのように生きてきたのかが分かったりもします。

家族の問題点は、自分が抱える『たましいの課題』でもあります。つまり、家族は自分自身の未熟なところの映し出し。ですから、その自分のたましいの未熟な部分を見つめて克服し乗り越えるために、今の家族を選びあなたは生まれてきたのです。

大きな問題を抱えているほど、人は不幸だと、不公平だと言いますが、

大きければ大きいほど、あなたのたましいは向上欲が非常に高く、より成長しようと心に決めた『大きな覚悟』のあるたましいなのだと言えます。

ただ、問題の大きい小さいを比べるのは、物質的価値観であり小我な視点です。
大きかろうが小さかろうが、問題はあなたの未熟さが現れている証。
あなたのこの世での課題であるのです。
それに、問題の全くない家族なんてありません。

どこの家庭にも問題はあります。

たとえ問題に気付いていないような、
『うちには問題なんて何一つなぁい』と言うような頭がお花畑な家族も、
その現実逃避がその家族の問題点であり、カルマなのです。

それがあなたが生まれてきた意味です。

来月のスピリチュアリズム講座でも理想の家族の在り方についてのお話をする予定です。

家族関係とは、他の人間よりも
究極の人間関係だとも言えます。

そこには、自分のたましいが目指す成長の課題というものがあるからなんです。

このお話を聞いたことにより、
家族との関わり方が
また少しご自身の中でより良い方向になれればと願っております。




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