2019年6月30日 誰もが十字架を担っているのです。

『現世だけの幸せ』を望み、それが得たいと『努力もせずに』スピリチュアルなものに頼る人がいます、
そして、それを『与えたい』と、その現世利益を促す占い師、霊能者がいます。



これも『波長の法則』と『因果の法則』の働きにより、そういう人には、そういう人と引き会います。
神が引き会わせたわけではありません。

色庵にも、そんな想いの人もお越しになられます。ですが、ここでは『こうすると災いから回避できる』と言ったり『こうゆう行動を起こせば、想いが成就する』などという現世利益は言いません。
お節介に『なんでも与える』のではなく、ここは『気付く』場所。
『ちゃんと私は幸せなんだ』と気付き、人生の軌道修正に気付く場です。


現世利益を与え、それに『頼る人』は今後どうなるか、、、

この世への『執着が増し』、
『生きながらの未浄化霊』となり、
最悪その人は命を最後まで全うしても、死後でも未浄化霊となってしまうことだってあります。

『なんでもまずは自分でやってみる。』

それでも、どうしても迷った時に、人に聞けばいいのです。


躓くのが怖くて、転びたくないからといって
初めから、『転ばぬ先の杖』を探すのは、『権利主張し、義務を果たさず』です。


マタイの福音書10章38節より
『自分の十字架を担って、わたしに従わない者は、わたしにはふさわしくない』

これは、私に従いなさいという傲慢な命令ではありません。
『わたし』とは『自分自身』のこと。

その自分は十字架を担っている。

その十字架に従わず、
自分の十字架の事を考えもせず、
傲慢に生き不満や愚痴をいう人に
幸せはふさわしくないのです。

人には誰にでも『十字架』を背負って生まれてきているのです。

それは『小我という膿』を出すためであるのです。


私たちは、失敗するために生まれてきたのに、
その摂理に反するような想いにかられるから、
『転ばないためには、どうすればいいのか』ばかり考えるから、

『今の悩みに苦しむ』のではないでしょうか。



2019年6月28日 エール!

心の傷が大きければ大きいほど、
天からの愛ある導きが与えられます。

だから、あなたはもぉ傷付く必要はありません、『磨かれた』のです。

ちゃんと本当の幸せに導く存在を知ってください。

不安に心配する必要もありません、『成長』したのです。

今度は、あなたが『人に愛を与えられる人になれる』ということです。

どう足掻いても、
どうしてもこの世は『小我な世』なのです。

だから何が起こっても、何があってもおかしくはないんです。

まったく傷が付かない人のほうが、むしろおかしい。

正常の愛念を持つ人は、闇に苦しむのです。


それが正しき感情


私達はこの世の理不尽な事でたましいに傷を付けるために生まれてくるのです。

その傷は『経験と感動』のこと。


今は苦しく辛いかもしれません、
しかし、それも『損して得取れ』なんです。『喧嘩は先しろ』でもいいんです。

今この時点で沢山の辛いことや苦しいことを経験しておけば、
後から『不動の心』が養えている。

何が起こっても、『悩み苦しむ』ことはありません。

『これを恐れてはいけません。』


私のスピリット達も常に伝えてきます。
『相手が悪くても、妬みを忘れなさい、オーラが汚れる、他人のことを考えるのは暇な人がすることだ、そなたにはそんな暇がないはず、そして努力しなさい、明けない夜がないように、努力しか確実に実を結ぶ方法はない。』



恐れずに『磨いて』どんな事があろうが『込めて生き抜いて』ください。


2019年6月26日 霊性

今の人類は頭脳の発達ばかりが必要だと重点をおいた、すると心に障害が出る人が沢山出てきました。

本当に大切なのは『心の成長』なのでは?

でも、未だにそのことに気づこうとしていない我々。

人はみな傲慢なのです、心臓の声ですら聴こえないのですから。

物質主義的価値観はこれから先、ますます加速し、急速な人のたましいの低級化、そして、その人のたましいは『低級自然霊化』が加速します。

思っていた以上の加速に正直驚いております。

いつ今の世の中が崩壊する時がくるのか、
それは刻々と近づいています。

今年のメッセージで『足元掬われる』と言いました。
ピンとこない人は、その時がくればこのメッセージが身に染みるはずです。

ただ、『人には躓く権利』がある。
今の人の霊性では躓かないと気付くことはないでしょう。
しかし、それは霊性向上に繋がります。
大きな霊性向上となるでしょう。
お腹が空かないと、人はご飯を食べないのと同じで、崩壊することは神からの愛なのかもしれません。

その崩壊は、自然界がしてくれるでしょう。
まるでマグマがグツグツとマックスのところまで上がって爆発するかのように、、、それまでにはそう時間はないかもしれません。

私はこう祈ります。
『今のこの時代の『大きな躓き』は、必ずたましいの大きな成長となり、霊性向上のその先の私達の来世は、『大我の愛』に満ちるたましいが多くなってくれると信じましょう。』



2019年6月25日  人と比べること

いつも人と比べて、
自分が他人よりも『優位』なんだと知った瞬間に

『私はよかったぁ』
『自分じゃなくてよかったぁ』

って安心しているわりには、

『世界に一つだけの花』で感動したりして歌ったりしているのって、、、

どうなんでしょう?
矛盾してません?


だから『いじめ』も無くならないんじゃないんですか?

なぜか、無くすことばかりに執着して、インスタント思考で、成果主義なんです。

どうして、『視点』を広めないのか?

正直言って、皆さんがしているのは、『表面的な追求』です。本当に解決しようとしていない、
なぜなら、これ以上の先の部分を見ると、『自分が傷付く』からです。


2019年6月23日  罪

ある罪を負った女が、民衆達の前に連れてこられ、律法の権限でその女に石を投げて殺すこととなっていたところにイエスはいいました。
【あなた達のなかで罪のない者から、最初にその女に石を投げなさい。】

すると、そこにいた民衆達は、恐れおののき一人一人と立ち去って行き、その女とイエスだけが残りました。
誰も石を投げれなかったのです。



罪のない人はこの世に誰一人としていません。

あなたにも何かしら罪があるはずです。

罪と聞くと皆さん、犯罪的な大きな事柄をイメージする人が多いでしょうが、

普段から、不満や愚痴をポロっと漏らすことも『罪』となります。

この『罪』とは『因果の法則』のことをイエスは言っています。

この世に生まれてくるという意味、
自分の『小我という罪』を見つめ反省し、他人と切磋琢磨しながら、命を余すことなく懸命に生き抜くためなのです。


なのに、自分に都合の良い時は、自分はまともな意見があるとか、これが正しいとか、不思議と思うわけですよね。
多くの人たちは、罪という意識もなく日常から罪を犯しています。

この世で一番怖いことは、『自分が見えないこと』

普段から、自分の意識の中で『私がなんぼのものか』と謙虚に過ごすことが大切です。

何か世間的に悪いことをした人に対し
完全な悪者、悪魔のように思うのは、
私はそれもそれでどうかと思います。

犯罪を擁護しているわけではありません、そうではなく、その人のたましいまでをも否定するような言葉を投げかけたりするのは間違いだと言っています。
『罪を憎んで、人を憎まず』ができない
皆さんの人格の方がよほど情けないと思います。

そんな時はこのイエスの言葉を思い出して欲しいと願います。



2019年6月19日 お見舞い申し上げます。

山形、新潟での地震災害、お見舞い申し上げます。ともにまた人びとのいちはやい平安をお祈り申し上げます。

アメリカの精神科医である
2004年8月24日にエリザベス・キュブラー・ロスは亡くなりました。医療従事者の方はご存知の方が多いかと思います。彼女は今ある『ホスピス』運動の先駆けとなったような存在の人です。

彼女は最後の重病の床のなかで、
私たちに遺言のようにこんな言葉を残しました。

『悲しいことに、とわの別れを告げようとしているこの世界にだけは不安を感じている。地球全体が苦しみにあえいでいる。地球が生まれてからこのかた、今ほど衰弱した時期はない。あまりにも無思慮な搾取によって、地球は長い間虐待されてきた。
まもなく地球がこの悪行を正す時期がくると、わたしは信じている。人類の所業に報いる大地震、洪水、火山の噴火など、かつてない規模の自然災害が起こるであろう。わたしにはそれがみえる。わが亡霊たちからも、聖書に描かれているような規模の大異変が起こると聞いている。それ以外に、人びとが目覚める方法はないのか?自然を敬うことを説き、霊性の必要性を説くためとはいえ、他に道はないのか?』

地球はすでに悲鳴をあげているにもかかわらず、その声には無関心で、私たちは今まで生きてきました。
知りようともしなかった私たちの『因果』を、ちゃんと受けとめる時期が来たのでしょう。

今年の年始に私は予言を出しました。

『今年は平安に足すくわれる』

去年からの自然からの警告を聞きもしなかったその私たちの傲慢さが地震となるのです。

ちゃんと私たちの生き方を正す時がもぉきています。
あなたはどうですか?

正しますか?
それとも
今のままでいいと思っていますか???



2019年6月18日  あなたの内が戦場

戦争をなくそう!というわりには、
あなたは日常で『心で戦争』をしているじゃないですか、、、

夫婦喧嘩、親子喧嘩、兄弟喧嘩、友人や恋人、職場の同僚や上司との心のバトル。
実際に口喧嘩していなくても、心の中で不満や愚痴だらけじゃないですか。

口に出す言葉と
心の中で思うのと何が違うのですか?

自分で家庭や職場を戦場にしてしまっているじゃないですか。

それを『紛争状態』というのです。


平和は足下から、
そして、悪魔はあなたの中に在る。

全てはスピリチュアリズムの8つの法則である『2大法則』の『因果の法則』、『波長の法則』です。

日々の日常から感じている
『相手を何とか言い負かしてやろう』という気持ちが『種』となり、それが『実る』と、罪のなき命を殺すような『戦争』になるのです。


『私は違うな』と思った人は
この言葉をお届けしましょう→『愛の反対は無関心です。』


いい負かそうとする言葉を投げかけたり、
思ったりして、
人の心を傷付けるのと、
銃を発砲するのと、
何が違うのでしょう?

銃を持つ人と、
言い負かそうと思っている人の
その時の心情は、
『恨み、妬み、憎しみ、嫉妬』
というのでは、どれも同じなのでは?



2019年6月16日  批判

世界的に著名なヒーラーの、M.H.テスターはこう言い残してます。
『あなたは死にたくても死ねないのである。あなたは永遠に不滅なのである。永遠に生き続けるのである。死にたくても死ねないのである。この事実を受け入れさえすれば何もかもが一変する。永遠に生き続けるという視点から見ると、何もかもが違って見えてくる。』

彼は、霊媒のモーリス.バーバネルとも知り合いであり。シルバーバーチの指導も受けていました。『あなたは死にたくても死ねない』という有名な言葉は、シルバーバーチの言葉でもあります。

昨日の続きではないですが、
あの番組の『過度な演出』で、残されてちゃんと毎日懸命に生きている家族の『苦悩』、遂行した医師の『苦悩』は無視してはいけません。

実際に、苦悩に苦しみ病んでしまった家族や医師がいるという実情も聞きました。
そんな人達が世界中に沢山いるということ。

私は、苦悩に苦しむ人達が、世間から批判にさらされることがないことを祈るばかりです。
でも今のこの時代なら、すぐに叩くでしょうね。
今の皆さんはリンチが大好きな人達ばかりですから。

少しでも多くの人が『寄り添う』ことを実践してくれますように。。。




2019年6月16日  批判

世界的に著名なヒーラーの、M.H.テスターはこう言い残してます。
『あなたは死にたくても死ねないのである。あなたは永遠に不滅なのである。永遠に生き続けるのである。死にたくても死ねないのである。この事実を受け入れさえすれば何もかもが一変する。永遠に生き続けるという視点から見ると、何もかもが違って見えてくる。』

彼は、霊媒のモーリス.バーバネルとも知り合いであり。シルバーバーチの指導も受けていました。『あなたは死にたくても死ねない』という有名な言葉は、シルバーバーチの言葉でもあります。

昨日の続きではないですが、
あの番組の『過度な演出』で、残されてちゃんと毎日懸命に生きている家族の『苦悩』、遂行した医師の『苦悩』は無視してはいけません。

実際に、苦悩に苦しみ病んでしまった家族や医師がいるという実情も聞きました。
そんな人達が世界中に沢山いるということ。

私は、苦悩に苦しむ人達が、世間から批判にさらされることがないことを祈るばかりです。
でも今のこの時代なら、すぐに叩くでしょうね。
今の皆さんはリンチが大好きな人達ばかりですから。

少しでも多くの人が『寄り添う』ことを実践してくれますように。。。




2019年6月15日 緊急メッセージ〜 本当の安楽

昨年の夏に、私の守護霊の一人であるガイド道仁からこんなことを言われた。
『来年(今年)の7月に叡智が宿る』と。
そして、ガーディアンスピリットからはこうも言われた『まずは肚をくくりなされ』と。

その時は意味不明で『何言ってんだ?』という感じでしたが(笑)
その意味が、今やっと理解できました。

皆さん、今月初めに国営テレビで放送さされた『安楽死』についてのドキュメンタリー番組をご覧になりましたか?
私は仕事だったのでリアルタイムでは見てはいませんが、友達からこんな番組があったと怒りを込めて動画が送られてきて、その番組を観させてもらったのですが、
最悪の一言でしたね。


ご覧になった方は、どんな感想に至りましたでしょうか?


私は、今の日本人の『愚かさ』を目の当たりにし、安楽死を『美化している風潮』に大変な憤りを感じました。
そして、まるで安楽死を国民に推奨するかのような内容で
『命』への感謝がない。

某有名な女性作家さんも安楽死を求めていますしね。

はっっっきり!と申しまして
『安楽死』は『自殺』です。


そして、番組内で
安楽死を
『消極的安楽死』
『積極的安楽死』などと区別し、

『まるで悪いことじゃないよー』とうたっているような演出。


安楽死は安楽死なんですよ。
そして、何度も言いますがあれは『自殺』なんです。

『安楽死』と『尊厳死』であるなら分かる。



そして、同じ病の人で生きようと望む人との比較するその『意地の悪さ』、

しかも、生きるを選んだ人の場面では、
あたかも、生きる方を選んで苦しみに喘いでいる人とも言わんばかりの暗〜い演出にしていたんですよね。


『死は自分で選ぶ権利がある』とも言っていて、傲慢極まりない、
『馬鹿者!!』と私は思わず言っていました。
私達は、自然の摂理にのっとって『生きさせてもらっているんだ、だから命余すことなく生き抜くのが使命だ』という謙虚さがまるでない!

正直申しまして
安楽死を選んでいった彼女にはまったくの同情心は湧きませんでした。むしろ残されていった家族がいたたまれない。最後まで生き抜いてと反対している家族もいたんです彼女には。
しかし、『今のこの一瞬一瞬のこの体の苦しみから逃れたい一心だけで死を選んだ。』

彼女のその傲慢さにも怒りを感じ、間違ったプライドだなと。。


そして、彼女が最後に彼女の家族に言い残した言葉にも呆れましたね。
『そんなに苦しくなかったよ。幸せだった』と。

傲慢極まりないですね。
『自己憐憫、責任転嫁、依存心』の塊です。
それなら、最後まで生き抜きなさいよとも思いました。

苦しい!苦しい!その気持ちがあなたに分かるのか。というのも彼女はブログに書いていて。

『私はこの病気になって可哀想な人間なんだ!』という『自己憐憫』

この不幸は病気のせいだという『責任転嫁』

そして、家族への最後の言葉の『毎日お見舞いきてくれて、苦しくなかったよ』からも分かるように、強い『依存心』。

『孤高に生きることのできない心の弱さ』が
垣間見れました。

たしかに
病は本当に苦しいものです。

私の祖父も祖母も病で亡くなりましたが、
二人とも命余すことなく最後まで生き抜きぬいた人です。



祖父は、『多肉性骨髄腫』と『肺気腫』
祖母は、『大腸癌』

と最後まで戦い、生き抜こうと懸命に生き
思い残すことなく
同じ年に二人はあの世に旅立ったんです。

二人同時の介護は大変でした。



特に祖父は痛みに耐えきれずに、毎日暴れて二階の自分の部屋からラジカセを投げたりとか、杖を振り回して壁に穴を開けたり、私に噛み付いてきたりと。

もぉ壮絶な介護でした。


しかし、彼は様々な葛藤がある中でも、何の為に病と戦い続けたかというと、私達家族の為なんです。

祖父の死後、私は通信をしてみました。
すると彼はこう言いました。
『病気の時、その苦しみとどう向き合ったの?』と聞いたとき彼は、

『病は苦しいものだ、当たり前だ。しかし、そこから逃れることこそ、もっとも辛い苦しみを生む罪だ。これもわしの人生だと受け容れただけ』
そして、『暴れたことは、すまなかった』とちゃんと謝ってもくれました(笑)
最後は、声も頷くことすらもできない状況でしたから、伝えることができて喜んでいました。

祖父はスピリチュアリストでした。
でも、未熟なスピリチュアリストと言うのが正しいのかもしれません。
なぜなら、スピリチュアリズムを理解していればちゃんと意思表示を伝えれる状況の時に残される家族に対して、『エンディングノート』を書き残しているはずだからです。
もちろん私は毎年エンディングノート書いています。
いつも当たり前のように生きているつもりがないからです。

彼の生前は壮絶な人生だったのですが、人に尽くし、『お役に立たせていただいている』という生き方の人でした。

『人事尽くし天命を待つ』という人だったのです。


その想念で生き抜いたおかげで、
ちゃんと浄化でき、安楽の地に行けて今は苦しみはなく楽しく暮らしているようです。

ですので、祖父も祖母も亡くなって7年は経ちますが、今も私のところに覗きに来てくれます。

『来たよー』っていうしるしに
祖母の鉢植えの葉が一つちぎられて玄関の前不自然に置かれていたりとか。

祖父はよく声をかけてきます(笑)

そして、祖父と祖母の介護は、母と私の二人でしておりましたが、
その母も、二人の死後の5年後に『乳癌』と告知をうけ、彼女は『痛みもあるし、苦しい、苦しいが私と孫のためにも最後までやる事をやって生き抜いて頑張る』と今現在もその病と向き合い戦っています。

そしてこの私もただの未熟な人間、生まれてすぐに手術をする経験もあるし、ずっとその病と付き合い生きています、それに慢性的な持病ももっています。

ですから少なからずも病気にかかっている人の気持ちは分かります。悪化なんてしてしまうと本当辛いものですよね。

しかし
自分がどんな状況下にあろうと、最後まで生き抜いた人の死後は、全て安楽なんです。

それが許されるのは最後まで生き抜いた人にだけです。


では安楽死を選んだ人はどうなるのか?と
私は疑問に思い、知りたいと思い
お節介だという覚悟で『霊視』を今回こころみてみました。(同じ頃に私の師も霊視をしていたそうです(笑)おもしろいですね(笑))


結果、案の定彼女はまだいけてません!目覚めてもいません!

まだ死の淵にいます。
(師も同じことを申しておりました。)

『まだ死ねてない、まだ、まだなのよ』っていう思いでずっと彷徨っています。
『さよなら。』『さよなら。』の場面をずっと繰り返しているんです。

『死に固守し過ぎる』とこういうふうになります。
やはり、『自殺者と同じ道』を辿っているんですよ。

これまで、自死をしていった方の霊視を沢山してきましたが、彼らも彼女と同じことを言います。『まだ死ねてない』って『まだ苦しい、もっともっと死ななきゃ』と言います。


彼女もその人たちと同じになってしまっているこの現実、、、
彼女も様々な思いもあってでの決断だということもありますので、これ以上は何も言いませんが、、、

でも、そんな彼らでもいつかは『気付き』浄化します。ですが、自殺を経験した魂は、自分で生きることを放棄したということ、だから、課題(宿題)を背負ってこの世に生まれてきているのにそれを放棄したんです。
皆さんも学校で宿題してこなかったら、先生にどう言われます?
怒られますよね?
それに、してこなかったその宿題をまたしなきゃいけないし、新たな宿題も追加されたりもしますよね?

人の人生も同じです。
自殺をすると、生まれ変わっても
また同じ人生を歩まされることになります。

私は普段の生活からも二度手間というのが大嫌いです。イラチですから(笑)
計画して段取りよくするほうが楽だから好き、
また来世も今と同じ人生を歩むなんてまっぴらゴメンです。
それなら、新たな課題に挑戦して新しい人生を歩むほうが、刺激的で楽しいにきまってます。色んな人生の景色を見たいし、次はどんな人生となるのだろうとワクワクもします。



しかし、何の因果でしょうかね(笑)

『安楽死』、『政治家の老後2000万円発言問題』
ガイドスピリットである道仁が言っていた言葉、7月に叡智宿るがやっと意味が分かりました。

なぜなら、7月にスピリチュアリズム講座が開講するんです(笑)

しかも、この安楽死についても学べる『スピリット(霊魂)の法則』です(笑)

『人は死して死なない』んです。

病と苦しみに向き合っているは、『無駄ではなく』あなたの魂を成長させるのに必要な課題である『価値のある』ということです。

彼女も少しでもスピリチュアリズムに触れる機会があったなら、苦しみと対峙し最後まで生き抜くことを選び、安楽死という道に逃げなくてもよかったのかも、、、しれません。

残念ながら、これからの日本人は『安楽死』を求める人が増えていくでしょう。

世界でも増えていっている状況です。

『聖母マリアの予言』がこの度に思い起こされます。
『死んでいった人達を、羨ましいと言う時代がくる』と。


毎日私は『ふりたま法』(*同7月より開講のヒーリング講座のモニター体験された方はご存知のメディテーション法の一つです)をして、自分の『小我』を浄化し、少しでもこの世のこびり付いたヘドロのような『小我』を浄化させようとしていますが、先の見えない程遠い浄化です。

一人でも多くの人が
スピリチュアリズムに触れ
『安楽死はダメ!自殺だ!』
『孤独死じゃない!孤高死だ!』
『ダメなものはダメなんだ!』
と声を発する人が増えてくれることを、私は心から願います。




2019年6月14日 奉仕の真実

あなたは毎日の生活を常に『奉仕』だと思い生きていますか?
『奉仕』とは『無償の愛』のこと。『誰かのために』です。
『ボランティア』=『奉仕』だけだと思うのはおかしいということ。

自分の人生の全てが『奉仕』するためと思うのが、本当の無償の愛ではないでしょうか。

つまり、『奉仕』は『選んでするものではなく』、誰かのためにと『最後まで生き抜く』だけでも『天に奉仕している』のです。


『苦労は買ってでもする』というのを、お節介にやり過ぎていて、それはもはや自分の為にしているだろうという『勘違いしている人』がいます。

もちろん良い事ではありますが、逆も然り。

『奉仕』は常に『させていただいている』という『謙虚な心』が大事。

ボランティア団体や医療従事者にもかかわらず、よくそんな方がいらっしゃるのですが、
望まないことを、相手が寝たきりや話せない、昏睡状態である『弱者』だからと『勝手に決めつけて』お節介に施しをするのは、奉仕とは言えず、ただの『自己愛が強い迷惑な人』となります。

『こうすると人は喜ぶから、あなたも嬉しいはず』と勝手に決めつけていることが多いのです。

私は自分のエンディングノートにも書いていますが、『そのような事はこちらが気をつかうし、望まないから無駄な施しはやめるように』と記してあります。

私はどこでもお話ししてるのが、若くてもエンディングノートの重要性はお伝えしています。
いつ何時、あなたも肉体が思うように動かなくなってもおかしくない世に生きているのだから、残される人への意思表示を残してあるのが甲斐性であり愛である、それは当たり前のことです。

話を戻しますが、
やはり、喜ぶ人と喜ばない人がいるということを、ちゃんと理解し、エンディングノートのように意思表示のできない状況の人には、その人の返ってくる反応は望まず『させていただいている』という謙虚さを持ち、勝手な思い込みで過剰にはしない。

一人一人の『共感力』と『想像力』の『大きな視点』を養うことが重要となるのを忘れてはいけません。




2019年6月11日 ことたま(言霊)

ほんのちょっとした『言葉』が、
相手は救われることだってあるのです。
逆に、
ほんのちょっとした『言葉』が、
相手の心を殺してしまうことだってあるのです。

ここで思い出したいのが、
マザーテレサの言葉『思考に気をつけなさい』です。

思考に気をつけなさい、
それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、
それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、
それはいつか運命になるから。




その何気ない一言でも、その『思考』から『思わず出てしまう言葉』です。

どんな言葉にも魂が宿ります、
それが『言霊』。

言葉は生きている、だから相手を救うこともできれば、『最悪な凶器』ともなるうるのです。

この世での最大の武器は、核兵器でも戦闘機でも銃や刀でもありません。

『言葉』こそ、人間の最大の武器です。
だからぞんざいに扱ってはなりません。

なぜなら、いずれはその言葉はあなたの『運命』になるからです。


2019年6月9日 正しきヒーラー

ヒーリングを『魔法』や『治る』ものだと思ってはいけません。

そうやって言って集客しているようなヒーラーも間違いです。
世界ヒーリング連盟でもそれをいうのは『禁止』とされています。

ちゃんと医療とヒーリングの境界線を作って社会とのバランスを保ているからこそ、私達ヒーラーはこれまで非難されながらも表舞台に立ててきたのです。



『治る』や『魔法』のような表現をしてしまってはこれまでの100年以上に渡っての研究や犠牲をはらっての霊界通信の努力が水の泡。。。

そもそも、ヒーリングは求められなければ施してはいけないのです。

しかし、
このようなヒーラーが後を絶たないので、今の『ヒーリングにおける定義』が曖昧になっています。
『癒し』のヒーリングなのだとするならば、『この世での気持ちいい』とされることは全てヒーリングとなってごちゃ混ぜになってしまいます。
それではスピリチュアルでもなんでもなくなる。

ヒーリングは直訳すれば『御霊を癒す』と言いますが『癒す』ということだけじゃない、自分の心(たましい)を受け入れ、溶かすということ。

しかし、
日本でそれがなんの躊躇もなく、堂々と言ってしまっている人がいる現状が非常に残念です。

そして、そのような人がどのような『末路』を辿るのかも私は何人も知っています。

騙された!と法的トラブルも数多くあります。


ハリーエドワーズに憧れて
日本でもヒーラーになる人が多くいらっしゃいますが

ハリーのような力がある人は特別な人で、今の現代にはハリーのような一瞬で治癒をし、それだけではなく人の人格までも変えてしまうような力がある人はいません。

私もハリーの書籍や映像資料からヒーリングについては学びました、庵でもヒーリングはしておりますが、
『魔法』や『治る』は一言も相談者にはお伝えしていません。

ハリーの能力は触るだけで、そして遠隔でも治癒してしまう『スピリチュアルヒーリング』の能力に特別に優れていました。イエスもヒーリングで人々を治癒をしたという歴史上で残っていますが、ハリーはイエス以上の治癒力の持主であると言われています。
ですが、霊能があるかと言えばそこは『?』です。マザーテレサのように霊界からの声が聞こえるということがあったとの記録はありますが、彼は霊能者ではありません。ヒーラーです。

ハリーのように触れただけで瞬時に完治してしまうのは
ハリーが特別なのであって、訓練しだいで誰もができるとは限りませんし、今はそのような『たましい』の人は生まれてきていません。
そのような『特別な能力』は、霊界がこの世にその能力が必要だとすれば生まれてきます。
ということは、今の時代にはそれが必要ではないということなのでしょう。

ハリーが生きた時代は第二次世界大戦中です。きっと早急に人々を特殊な能力を使ってでも癒す必要があったのでしょう。実際に、彼は戦争にも行っていますので、戦地で人々を治癒していたようです。

ヒーリングは痛みを緩和しエナジーの滞りをなくす『一時的な緩和』に過ぎず、
根本の原因を解消しなければ、なんの解決にもなりません。
某お掃除屋さんと同じになります。

分かりやすい例えで言えば、、、
これは除霊と浄霊とも当てはまることですが、

毎日不摂生をしていて、お酒もタバコも好む人が、『お腹がよく痛くなるのが悩みだ』としてヒーラーを頼りヒーリングをしたとして、そのヒーリングのおかげで痛みがなくなったとしても、
食生活やお酒、タバコをまた毎日続けていれば身体に悪いに決まっています。
素人目線でも、『まずヒーリングよりも自分の生活習慣を正しなさいよ』と思いますよね?
その生活習慣を変えなければ、また同じ症状になっても仕方ありません。
それを巷のヒーラーは、これは憑依によるものですとか、神を崇めていないからと精神世界に誘うのです。
蓋をあければ、そのようなところは宗教団体化していて、そのヒーラーを教祖と崇めていたということなど、よくある話です。
結果、それが原因でよくトラブルとなっています。
もちろん、基本規則正しい生活ができない人には悪しき憑依は無いとは言えませんが、それは『規則正しい生活ができない自分が悪い』から引き寄せたのであって、『すべて自分が顕れているだけ』です。ですから『憑依を全ての元凶だ』とするべきではありません。


もちろん
この世中には、
先天性の病や、後天性でも重い病気で苦しむ人が沢山沢山いるのです!

そこで、ヒーラー達は【無責任】に『魔法』や『治る』と言ってしまってもいいのでしょうか?
そんなことが、霊的世界で『喜ばれる』ことなのだろうか?

『治る』『魔法』なのだとおかしなヒーラーがいますが、では『先天性の病気』や『先の見えないような不治の病』も『全て解決』なさってみてくださいと言いたいですね。


『病』は『不幸』ではありません。
病になったからといって『たましい』までもが病気になることは決してありません。
なぜ病にかかるのか?
その人がその病をもって、この世で『学び、経験と感動を積むために』あるのです。

病で苦しむ人にとったら失言かもしれませんが、
この世での一つの『演出』に過ぎないということです。


私達の人生には無駄なことなどひとつもなく、そこからいろいろな事実が分かったり、人の気持ちが分かったりと多くの『学び』があるのです。
ですから、そういった意味では、
見た目に障害が出てしまうような人でも、まずは『自分自身を受け入れる』ところからはじめないと。
本人にとってはとてつもなく辛いことです、ですがそこを乗り越えないとどんどん自分で自分の首を締めてしまいます。

『学びのお手伝い』という思いなのならば
ヒーリングは医療と同じくらいとてもいい『技能』なのです。私達の生活に必要とも言えるでしょう。

巷のヒーラーでも、本当にヒーラーとしての素質のある方もいらっしゃいます、要は扱う人の『人格』の問題です。
毎回そんな人達を見て勿体ないなと思ってしまいます。正しい真理を学んでいなければ『魔法』や『治る』と平気で言ってしまいます。

ヒーラーで『一番大切』なのは、
その人がどうしてその病になってしまったのか『原因』をちゃんと見極め、
必要ならばそれを伝える、
そしてその人の自己ヒーリングで
自然治癒力を高めてあげることです。


これからヒーラーを目指す人も
ヒーリングを利用する人も
私も、
毎度毎度、しっかりと見つめ直すことを終わらせてしまってはいけません。

2019年6月7日  悟り世代

今の若い人たちは、『月の学び』を与えてもらえず、だから良い言葉で言うと、とっても『ピュア、純粋』。10代、20代、30代を一言で言うと『無邪気で純真』という言葉がとても似合う。
しかし、逆の言葉で言うと、ピュアな分『とても弱い』、『心の忍耐力が無い』。

そして、無邪気ということは『無知』であり、『幼く』『軽率』である。

だか、それを『悪』と考える人も、それもまた『無知で幼い』。

なぜなら、そんな世の中を作ったのは今の大人である『あなたでもあり、私達』です。

2019年6月3日 小我

毎回思います。テレビの報道では、相変わらず世間で大きな事件が起こるたびに『どうしてこのような事件が?』と、しょせん机上の空論での議論、根から絶とうとする気がない解決論、不毛な議論に精を出す。不毛な対策議論でしょう。
何が『学び』なのかがさっぱり分かっていない。まるで地獄絵図のようです。

2019年6月2日 真の愛

あなたが今与えているその『愛』は、『真の愛』だと本当に思っていますか??

このテーマは、最初のことたま日記に相応しいテーマかもしれません。
今一度皆さん、『愛』を真剣に考え直すべきです。

ほとんどの人が
『自己愛』から見返りを求めて与えている『小我の愛』を与えています。

断言しましょう。
その愛は、他人ではなく自分を愛しているのです。色々と理屈が頭にぐるぐるした方は、やはりあなたは『自分だけ』という証です。

なぜ、寄り添えられないのでしょうか?

自分を大棚の上に乗せてもいいので、よくこの世の中を見てごらんなさい。

そんな人だらけでしょう。
最近の悲惨なニュースに対してでも
『人を巻き込まずに、死にたいなら自分で勝手に死ねばいいのに』などと平気で言ってしまう『無関心』さ。
犯罪は決して許せることではありません。
それを擁護しているのではなく、
私は、こういう思考を持っている人達も犯罪をする人たちと『同様』に大きな罪を抱えていると思いますよ。

自分のその小我な愛で『世の悪』を自分で作ってしまっている『罪』にすら『気づかない』、そしてそれに『便乗する同類の人達。』

『愛の反対は、無関心です。』

『真の愛』とは、『大我の愛』です。

自分の事などどうでも良い、
自分に返ってくる何かなど考えていない、
もし悪者にされるのなら、全て私はその泥をかぶります、どうぞ悪者にできるものならしたらいい。
という『覚悟』『腹くくり』がある『愛』です。

これを、『大我の愛、又は無償の愛』と言うのです。

この大我の愛を与えれるような人になるためには、『経験と感動を積む』ことが必須条件となるのです。
恐れず『苦労は買ってでもしなさい』と言う昔からの言葉があります。
『自ら泥に入らないと分からない』ことです。

そんな努力もせずに、怠惰でただ口先だけで言っている頭でっかちだから『小我』だと言われるのです。

口先だけの人に、私はいつもこう言っています。
『そこまで言いたいのならば、あなたがそれをして下さい。言うのならばもちろんあなたはそれができるんですね? 』と。


そうすると人は『ぐうの音も出ない』のです。

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